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総合弁護士事務所かなと思ったら、ほぼ離婚問題に特化した事務所だとのこと。しかし、そうは思えなかった。最初の30分無料、以降30分ごとに5000円。若そうな弁護士だったが、紙にメモ書きながらなので、話すペースが遅い。30分有料にするのにゆっくりやっているのではないかと思えてしまった。

■主な発言

・裁判における離婚の要件は3年が目安と言われている。

・離婚するまでの婚姻費用は、保証されているので、別居期間分を支払えば相手方が離婚に応じる可能性はある。本案件の場合、なぜ離婚したくないのかを問えば、お金以外に考えにくいから。

・裁判になった場合、親権については、15歳以上は本人の意見が尊重されることになっている。調停では、意見は聞くルールはないが、調査官が聞く場合もある。

・協議の場合、本人の代理がつくだけで、第三者が入らないので、膠着する可能性が高い。そのため、調停をお勧めする。

・ただ、調停も長引くと打ち切られることが多い。東京家裁は事案が多いので、特にその傾向がある。

・調停は非公開だが、裁判は公開されてしまうので、調停で終わらせる、という交渉はある。離婚裁判のデメリットを訴求するということ。

・弁護士報酬は、経済的利益に応じて決定する。ただし、慰謝料が過大な場合は、合理的な数字で算出する。

・年金分割は、20年4月までの分は合意が必要だが(3号分割)、合意しなくても分割できてしまうので、特に報酬の設定はない。

・親権取得困難事案については、追加成果報酬40万~となっている。子供の数は関係ない。

・面会交流については、別途請求はなし。基本月1回というのは決まっている。7~8割は1回=月複数回で設定できている場合もある。

・調停から裁判に移行したら、着手金は、充当するが、前段の業務量次第である。

・経済的利益の養育費は3年分で計算する。ただし、払う方はあまり関係ない。

・財産分与は別居時点の財産で算定する。

・最初から調停をお勧めする。協議離婚の場合、公正証書をつくるのに弁護士費用6万、公正役場に2~3万支払うことになり、実質同額となる。調停は強制力のある調停調書が作られる。

・確実に行くのなら、ある程度別居期間を確保してからをお勧めする。調停で半年~1年、裁判で半年~1年かかることを前提に、判決時点で3年経過するように調停申し立てを開始する。

・調停は、弁護士に頼らずに独力で実施することもできる。それをサポートするプランもある。一方的に取り下げは可能。


スキルと費用のバランスの取れた事務所を発見できたように思う。

・2名の弁護士からなる事務所だが、二人とももともと大手の事務所に所属していたこと。

・男女問題・離婚問題を専門としていること。

・費用もオプションがない。(親権のみ別途だが、勝ち取れたときのみ請求)


■主な発言

・親権を争った場合、15歳以上は子どもの意思だけで決まる。

・12歳以上でも本人の意思は尊重されるが、兄弟は分離させないほうが良いという考え方もあり、長子の意思、第2子の意思などいろいろなケースが考えられる。

・まずは、調停申し立てをお勧めする。別居直後に申し立てをするべきだった。意思を内外に示すものだからである。

・ただし、訴訟は別。特別な事由がなければ、別居期間として5年は必要。

(3~3年半でも負けるかもしれない。)

・特別な事由というのは、長期にわたるモラハラやDV。そして、証拠が必要。

・協議が終了するまで面会はどうなるのか?

 →基本的には子どもの権利が守られるべきという見地から整理されるべき問題。弁護士から提出する通知文に入れ込むことは可能。

・面会交流、年金分割について追加費用はない。

・親権は、勝ち取りに成功した場合、22万円。その際、子どもの人数は関係しない。

 (一人でも二人でも22万円。)

・経済的利益は、先方提示と当方の提示の差額で評価する。

 (先方からの提示がなければ0円。)

・調停は半年程度。

・裁判は1年1か月程度かかるのが標準。高裁までもつれこむとさらに半年。

・本事案では、出廷回数は5~6回は覚悟してほしい。3回を超えると都度3.3万円が別途かかる。


・2020年12月に某弁護士事務所に相談した際、離婚の要件となるための別居期間として、2年が目安として言われていたので、弁護士探しを復活した。

■主な発言

・離婚の要件となるための別居期間は5年である。

・所有不動産の価格を確認しておきたい。

・親権はあきらめた方がよい。

・調停であれば、着手金は33万円。親権を争うのであれば+22万円。

 経済的利益の報酬は、減額できた2年分の金額に対して、300万円以下は16%、300万円以上は10%。


→養育費も年数を限定してくれる弁護士事務所があることを初めて知った。

 個人事務所は過去の取り扱い案件が少なく、相談先も乏しいのが気になった。


東京都配偶者暴力相談支援センター・東京ウィメンズプラザが運営している。

http://www1.tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp/consult/tabid/86/Default.aspx#

毎週月・水の17:00~20:00、毎週土の14:00~17:00に受け付けている。

何度か電話したことがあったが、話し中でつながらなかった。

14:00ドンで電話したら初めてつながった。

運営母体の名前から、相談者は女性かなと勝手に想像したが、男性だった。

相談できる時間は20分が目安。


 私が確認したかったのは、これまでの妻の言動が、一般的に我慢するべき範囲なのか、やはり一線を越えているのかというところ。

 妻の言動については、子どもに対してと夫である私に対するもの2点あるが、まず、本人が嫌だと思った時点でモラハラである、という回答。これは教科書的な回答ではあるが、今一つ判然としない。すでに複数の法律事務所にも相談しているが、モラハラを立証するのは難しいから、その線引きをまず聞きたかったからである。しかし、相談者も法律の専門家ではないので、踏み込んでの回答は避けていた。当然と言えば当然である。

 もう一点の論点は、子どもである。これについては、まず、児童相談所・子ども家庭支援センターへの相談を薦められた。児童相談所の方がより切羽詰まった状況であることが多いので、まずは子ども家庭支援センターへの相談がよいのでは、とのことであった。とりあえず、もう少し踏み込んだ相談ができる先が見つかってこの点はよかったと思う。また、学校のスクールカウンセラーに子ども自身が相談することも一手であるとも。この点も娘に進めてみたいと思った。

 しかし、相談者も言っていたが、なかなか私の悩みを包括的に相談に乗ってくれる先はいないようだ。子どもの問題と夫婦間の精神的な悩みの問題と離婚の問題は、それぞれ違うようだ。

共同親権運動・国家賠償請求訴訟を進める会が月2回電話で無料相談を実施している。

https://k-kokubai.jp/consultation/#2

そして、なんと宗像さんご本人が無料で相談に乗ってくれるのである。

宗像氏の著書として、

『引き離されたぼくと子どもたち どうしてだめなの?共同親権』

『子育ては別れたあとも 改訂版 子どもに会いたい親のためのハンドブック』

を読んでいたので、ご本人とわかって大変光栄であった。

さて、相談内容としては、すでに弁護士法人や行政書士にも相談した結果、望ましい結果が得られないということがよくわかっていたからかもしれないが、今までの相談先の中では、最も共感的で、救われた思いがした。

無料相談ということで、時間が限られていて、当然こちらの説明が大半を占めたが、

・子どもの関係が一番であり、つらくないのであれば、子どもとの面会は継続した方がよい。

・やりたくないことはしなくていいし、伝えるべきである。それは妻のみならず、子どもに対しても。しんどいことを伝えれば、普通は嫌なことは続かないはず。

・やはり今法律的に争っても不利なことは間違いない。

という貴重なアドバイスをいただいた。




 この本すごい。実名で赤裸々にここまでプライベートのことを書く勇気がすごい。夫婦の行き違いが書かれたくだりは、誰しも思い当たる節があるのではないだろうか。

 新しいアパートに引っ越した最初の日から、俊枝との口論は珍しくなくなっていった。それはたとえば、ぼくがりんごを切ってその切り方が大きすぎるといったようなささいなことがきっかけだた。ぼくからすればささいなことで彼女が機嫌を損ね、ぼくがそれを取り合わなかったり、理屈で返したりすると、彼女の怒りが止まらなくなる。原因がわからずぼくが狼狽する。はじめての経験だった。

 多分彼女は、物事の正しさや解決を求めていたのではなく、自分の感情をぼくに受け止めてほしかったのだろうお風呂のマットの干し場所のことで、彼女に苦情を言われたことがある。「私にとっては重要なこと」と彼女は言った。ぼくはそう思う人がそうすればいい話で、ぼくがそのやり方にあわせなければいけない理由がわからない。それにすべてのことの責任をぼくが負えるわけでもない。人は人、自分は自分だ。

 離婚・親権問題は、難しい。何が難しいか、自分でもよく言語化できなかったのだが、本書を読んで、課題設定が難しいのだと思った。そういう意味で、本書を読んで、ようやく離婚・親権問題の核となる部分がわかってきたような気がする。


■「最小面会」

 家庭裁判所では、月に一度二時間という養育時間の相場があります(最近では二週間に一度という交流頻度も見かけるようになりました)。こういった回数に合理的な根拠はありません。同居親の拒否感情が強いと二カ月に一度二時間になります。また家裁出身者の作る面会交流支援団体が請け負う頻度が月に一度三時間までなので、利益誘導のため家裁もその頻度の交流を指示します。こういった「最小面会」は、関係を絶たれた親子が親子関係を回復するための障害にほかならず、実際に履行されずに再び裁判所に行く親たちも少なくありません。

 現在、私たちのところに相談に来る男性相談者の多くが、相手からの離婚理由としてDVを挙げられています。この中には、実際の暴力の加害者もいますが、一度も暴力をふるっていないのにモラハラや精神的なDVと言われて戸惑っているという人が大部分です。

 DVは犯罪なので、刑事による介入がなされてしかるべきですし、同時に双方が被害者にも加害者にもならない当事者のニーズにかなった支援が必要です。しかし警察は家庭内の問題に介入することは現在も消極的ですし、男性女性・加害被害を問わず脱暴力の支援ができる支援団体は限られています。

■「モラハラ夫」のチェック項目

 その「モラハラ夫」の言動のチェック項目には、外では大らか・家では細かい、無視する、言葉で脅す、嫉妬深い、相手の同情を誘う、アメとムチを使い分ける……などが並んでいます。ところで、来談してきた別居親の話を聞くと、相手の言動も、こういったチェック項目に当てはまることが少なくありません。これは実子誘拐の加害者が、そういった人格的特徴を等しく持っているということでは必ずしもなく、どちらかが先に仕掛けるかの違いはあっても、関係が難しくなった夫婦関係では、多かれ少なかれ双方に被害感情があることを物語っています。

■弁護士をつけるかどうか

 力関係で調停が進行する以上、法律の専門家である弁護士をつけるべきだとは一概に言えません。弁護士の仕事はクライアントの要望をかなえて報酬を手にすることです。今でも「子どもが手元にいないと何ともならないから」と連れ去りを教唆する弁護士もいます。残念なことに最近では、会わせたくない親のために、子どもに「会いたくない」と言わせるようにアドバイスする手法が、離婚弁護士の間で培われています。

■「フレンドリーペアレント・ルール」

 最低でも相手に対し、子どもの養育に積極的に関与させるそのやり方を具体的に示し、相手よりも共同での子育てに協力的であることは大事な観点です。海外ではこれは「フレンドリーペアレント・ルール」(寛容性の原則)と呼ばれています。要するに心の広い親のもとで子どもが育つほうがいいという考えです。交替居住(養育時間を完全に半分で分け合う)もこの観点からなされるべきことです。

■こじらせ弁護士

 一昔前には、離婚事件を進んで引き受ける弁護士はほとんどいませんでした。しかし弁護士数の増加もあって、離婚事案が安定した収益になると見込んで新規参入する弁護士が増えたため、もともと企業や借金を取り扱ってきた弁護士が、経験不足、知識不足の不慣れな対応で、それでなくても感情的な部分の大きい離婚事件を、よけいにこじらせる事例が見られるようになりました。子どもを連れ去られても対応が遅れ、子どもに会うことすらできない、別居親子の交流の意義を理解せずに別居親を親扱いせずにDV男と決めつけて挑発し、同居親が面会の不履行で訴えらえる、などの事例です。

■「ゼクシー見るより民法読め」

 弁護士の古賀礼子が言った言葉です。結婚から生じる法的効果や義務、法律上の離婚事由、財産分与などの民法上の規定について知らないまま、「頭の中お花畑状態」で結婚した結果、相手との関係が悪化した場合に、無防備に子どもや財産をなくして泣きを見る人が少なくありません。


頭の中でのモヤモヤしていた概念を明確に言語化してくれていて、感心した。


 虐待というテーマを扱う上で、最初に直面する問題が、「虐待とは何か」という定義である。わかりきったことのように思えるかもしれないが、実はこれこそが虐待問題を扱う上でもっとも難しいことであり、解決にたどり着けない大きな障害である。他の多くの社会問題と同じように、個人個人の受け止め方は多種多様であるからだ。

 仮に、親が理由も特に無く子どもを殴るのが明確な児童虐待だとしよう。では、怪我をしないように加減しながら殴るのはどうだろう? 正当な理由があれば虐待ではないだろうか? だとすれば、子どもがお友だちを殴ったというのは、子どもを殴る正当な理由だろうか? 逆に、反抗的な態度を取っただけで殴るのは虐待だろうか? 1度きりならOKで、繰り返せばNG? 子どもの人格を否定するようなこと、たとえば、「お前は馬鹿だ」というのは精神的虐待だとよく書かれているが、冗談で言っても虐待だろうか?」

 一番わかりやすいのは、「被害者(子ども)が虐待を受けていると思えば虐待である」、という考え方である。しかし、客観的に見て虐待を受けている子どもでも、本人は虐待だと思っていないケースも多い。多くの子どもは自分の家庭を当たり前だと思って育つ。外の世界を知らないから、親から酷い扱いを受けていても、それが一般的ではないということに気付かない。「もしかしたらうちの親はおかしいのかもしれない」という気持ちが芽生えても、親を愛しているがゆえに辛い気持ちを押し込め、自分が悪いのだと結論付けてしまうことも少なくない。実際、わたしの本を読んで、「自分が小さいときに受けたのは虐待だったのだと初めて気付いた」と手紙をくれる大人がたくさんいる。

 逆のパターンもある。実際には客観的な虐待の事実がない場合でも、周囲の影響や精神疾患などによって虐待を受けたと信じこんでしまうこともあるのだ。多くの手紙をいただく中で、「自分自身は虐待をした記憶はないのだが、子どもからは児童虐待を受けた、それによって不幸になった、と責められている」 といった内容のものがある。親が良かれと思ってした行為が子どもにとっては本当につらいことだったというケースが多いのだが、実は、子どもが「自分の辛さをすべて親の責任にしているだけ」というケースも実際に存在する。子育てという長い年月の中で、親が子どもを傷つけたのか、子どもが自分の都合のよいように記憶を書き換えたのか。時が経ってしまえば答えが出ることはない。

 要するに、家庭という密室の中で起こるこの児童虐待を客観的に評価し、刑事裁判のように白黒をつけるのはそもそも無理なのである。しかし、それが故に第三者の介入が遅れ、凄惨な事件に発展してしまうこともあることは、近年のニュースを見れば明らかだ。

 それを未然に防ぐためには、まず、虐待=悪であるというような見方を根本から変えてほしい。悪(虐待をする親)を倒せば正義が勝つ(子どもが守られる)というような美しい物語は、存在しない。

 もちろん虐待であるという判断の基準となる定義は存在する。この本を書く上でも、普段の診察をする上でも、一般的な定義を基本としている。しかし、特に子どものこころへの影響を考えたときには、「それが児童虐待の定義に当てはまるかどうか」ということより、「長い子育ての中で、子どものこころや脳を傷つける可能性がある行為をしないように努力する」ことが、もっとも重要であるということを忘れてほしくない。

 近年、欧米では、チャイルド・マルトリートメント、日本語で「不適切な養育」という考え方が一般化してきた。身体的虐待、性的虐待だけではなく、ネグレクト、心理的虐待を包括した呼称であり、子どもに対する大人の不適切な関わりを意味した、より広い観念である。この考え方では、加害の意図の有無は関係なく、子どもにとって有害かどうかだけで判断される。また、明らかに心身に問題が生じていなくて も、つまり目立った傷や精神疾患が無くても、行為自体が不適切であればマルトリートメントと考えられる。

 わたし自身、本来このマルトリートメントという言葉の方が適切であると考えている。虐待という言葉は強すぎて、子どもにとって「不適切」な行為であっても、虐待と感じるほどひどいとは思えないために、その行為が見過ごされる。また、必死で子育てしている親を深く傷つけ、人格自体を否定してしまいかねない。親が子育てに自信を失うことは、子どもとの関係がますます悪化することにもつながる。

 行為が重かろうが軽かろうが、子どものためを思っての行為であろうが無かろうが、傷つける意図があろうが無かろうが、児童が傷つく行為は改めるべきである。

 もちろん、親には教育の義務があり、子どもの将来を考えると必死になるのも当然のことである。親の期待が子どものがんばりの原動力となる。ただ、自分が子どもに教えている姿をちょっと引いて客観的に見る機会を作ってほしい。子どもには伸びる時期と伸びない時期がある。できない時期に親が必要以上に必死になると、自分はだめなのだと悲観してしまうだけである。むしろ、そのことが嫌いになってしまうかもしれない。もともと子どもには向いていないのかもしれないし、少し待ってみれば勝手に伸びていくかもしれない。別のやり方だとあっさりクリアできるのかもしれない。それは誰にもわからないが、少し長いスパンでこころに余裕を持って子どもを見てほしい。親だけが空回りして、子どもにきつく当たってはいないだろうか? 少なくとも、その時に必死になりすぎた親の暴言が子どものこころに傷をつけ、その後の伸び代を縮めてしまうようなことは避けてほしいものである。

 虐待相談件数の増加は、虐待が社会問題として認知された結果の産物であるとの考え方もある。実際の数が増えているのではなく、これまで見過ごされていた、または明るみに出なかった虐待が認知されるようになったに過ぎない、という考え方だ。実際、虐待を受けている子どもが、自分が被害者であることに気付いていないケースは多い。子どもにとっては自分の家庭がすべてであり、ほかと比べることが難しい ために、その状態が当たり前だと思ってしまうからだ。だから、虐待のニュースを見て初めて、自分の置かれている状況が虐待であると気づく子も少なくない。子どもの泣き声や服装や行動を不審に思っていた隣人が、待のニュースを見てようやく通報を決意することもある。確かに児童虐待が社会問題として認知されたことは、解決のための大きな一歩であることは間違いない。

 水漏れに気付く能力がもともと高い親もいれば、残念ながらやはり気付きにくい親もいる。わたしが診察する虐待を受けた子どもたちに関していえば、ひどい虐待の影響で子どもの精神状態が非常に不安定になっているにもかかわらず、自分の行為が正しく、子どものためになっていると信じきっている親が多い。 親自身が虐待を受けて育ったために、自らの行為が「当たり前」になってしまっているケース。実際には 行為が正しくないとわかっているけれども、「子どものため」と合理化し、自己催眠のような状態で自分は悪くないと思い込んでいるケース。結果を出すことに必死になりすぎ、夢中になりすぎて、周りが見えずに突っ走ってしまっているケース。いろんなケースがあるが、水漏れに気付いていない(または気付かないふりをしている)のが、虐待をしている親の一つの特徴でもある。

 人間は、そもそも子育て本能をほとんど持たない生物である。

 佐々木らは、育児経験の無い男女を集め、幼児とのふれあい経験を通して親性(親になる準備ができているか、育児に積極的か)が高まるかどうかをアンケートとfMRIを使って調査した。その結果、幼児とのふれあい体験をした群では、幼児への好感情および、育児への積極性が有意に高まった。また、fM RIにおいても、育児に関与する領域、視覚野や聴覚野などの賦活が認められた。

 つまり、人間の養育脳 ―子どもを愛し世話する能力のある脳― は、子どもと触れ合うことによって喚起され、育っていくのである。これは、女性は生まれながらにして母親であるという神話を覆す結果である。

 長い歴史の中で、人間は、小さいときから自分より小さい子と触れ合ってきた。そうして養育脳をはぐくんだあとに自分の子どもを産み、産んでからは周りの人間のサポートを得ながら育児をしたのだ。

 核家族化が進む中、子どもを産む以前に小さい子に触れる機会は激減した。多くの親が初めて抱く子が自分の子という状況である。まさに、「親となる準備は何もできていないのに、突然何もできない、意思の疎通もままならない生物を渡された」状態である。今の人間は、準備ができていない上に周囲のサポートもなしに育児をしなければならない。不安で、自信が無いのは当然のことなのだ。

 親への大きすぎる負担が子への暴力や暴言の原因となっているのであれば、それは本末転倒である。教育や食育などで得られる良い影響よりも、ストレスを与えることで与える悪影響の方が大きくはないだろうか? 賢い子どもを育てたい、健康でいてほしいというのは普通の親の願いである。しかし、それは親が勝手に願っていることであることは忘れてはならない。子どもの脳を鍛えたいのは、子どもではなく、賢い子どもを持ちたい親なのだ。もちろん、親のためであれ、子どものためであれ、一生懸命教育するのはすばらしいことである。しかし、それが親の強いストレスとなり、子どもがそのはけ口となっているような状態は適切ではない。

 心の病は立証が困難である。だから、児童虐待も表に出てきにくい。本書で示してくれているように、それが見える化され、健全な子育てが導かれるようにあってほしいと切に願う。


■「聴覚野」―暴言によって肥大

 …聴覚野は言語にかかわる領域で、他人とのコミュニケーションを円滑に行うはたらきを担っています。激しく怒鳴る、威嚇する、なじるなど、暴言によるマルトリートメントを受けると、左脳の側頭葉にある聴覚野の一部、「上側頭回灰白質」と呼ばれる場所の容積が肥大します。脳におよぶダメージの強弱は次のような結果になりました。

・両親からの暴言 > 片方の親からの暴言

・母親からの暴言 > 父親からの暴言

■最大7割弱の確率で次世代へと連鎖する虐待

 人間における虐待の世代間連鎖については、イギリスの精神科医ジャック・オリバー氏による研究が知られています。それによると、子ども時代に虐待の被害にあった人が親になったときの連鎖に関する割合は以下のとおりです。

・自分の子どもに対して虐待を行うようになるのは全体の3分の1

・ふだんの生活に支障がないものの、精神的な重圧がかかったとき、かつて自分がされたような虐待を我が子にしてしまう可能性のある人たちが全体の3分の1

・虐待せずに子育てができるのは全体の3分の1

時間が45分と限られていることもあり、得られた知見は少なかった。


①養育費の私学加算について

 養育費の中には、子どもの学費も含まれているが、公立学校を前提としている。したがって、その差額を収入で按分配賦することになる。

→ということは、妻に収入がなければ、実質的には差額はすべて払わなければならないということである。


②子どもへの不適切な躾は離婚事由にならないのか

 子どもは、一つの材料になるかもしれないが、直接の理由にはならない。ただし、親権決定の際の材料にはなるだろう。


③離婚事由について

 決定的な事由がない場合は、合わせ技で事由をつくっていくしかない。


④離婚のタイミングについて

 離婚成立の要件としての別居期間は最近では2~3年が主流になりつつあるが、待つ必要はないのでは。いずれ離婚すると相手方が理解すれば、態度が変わってくるかもしれない。


 一般の身体医学では、医師が目でみて診察したり、さまざまな検査をしたりします。そうして得た客観的なデータから、どのような異変が体に起こっているかを診断します。しかし、こころの病気は、目にみえる現象だけでは診断がつきません。また、脳の検査をしても、原因がはっきりしないケースもあります。

 そこで医師は、本人の訴えや心理状態、生育歴、環境などから、「こころの状態」を探っていきます。

※診断が主観的になりがち

 こころの病気では、具体的な原因や身体的な変化がみられないことがほとんど。診断は医師が、本人の訴える主観的な症状や心理状態を観察して行う

■(抑うつ障害)うつ病

 うつ病の基本症状は、「気分が落ち込む、気がめいる、物悲しい」といった「抑うつ気分」です。また、あらゆることへの関心や興味がなくなり、なにをするのも億劫になります。知的活動能力が減退し、家事や仕事も進まなくなります。

 うつ病の原因ははっきりわかっていませんが、遺伝的要因や脳の機能的要因などが、複雑にからみ合って発症すると考えられています。発症のきっかけとしてもっとも多いのは、ストレスです。転勤や退職、結婚、離婚などのライフイベントや、家族との離別(喪失体験)などがストレスとなります。

 病前の性格との関連も指摘されており、発症しやすい性格として「メランコリー親和型(秩序を重視し、他者につくす傾向が強い)」がよく知られています。

※ただの「落ち込み」とはまったく違う

 嫌なことがあると、だれでも気分が落ち込むものです。しかし、好きなことをしたり、人と話をしたりして、気を紛らわすことはできます。多くの場合は数日くらいで、徐々に立ち直ってくるものです。しかし、抑うつ障害による抑うつ感は長時間続き、好きなことさえする気になりません。気分転換もできず、生活にも支障を来します。通常の「落ち込み」とは、質的にも量的にもまったく違うものなのです。

■適応障害

 適応障害は、「心的外傷およびストレス因関連障害群」のひとつで、人生でだれにでも起こりうるできごとがストレスの原因となります。そのほか、離婚や失業、重い病気、親しい人との死別など、不幸なできごとも原因となります。

 一方、大災害や犯罪、戦争など、非日常的なできごとのあとに、不安感やフラッシュバック、不眠などが現れることがあります。これらは急性ストレス反応といい、症状が1ヵ月以上続くと、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になります。

日常的なストレス

→・表面上はかわらないことも

 ・内心は苦しんでいる

→・ひきこもる

 ・攻撃的な態度

 ・抑うつ症状

■パーソナリティ障害

 考え方や行動が通常とは著しく逸脱したパーソナリティ障害。病気なのか、性格のかたよりなのか、その線引きは難しいところです。

 

 世の中には、平均的な人々とは違う認知や行動のパターンをもっているため、「変わった人」「個性的」と評される人々がいます。しかし、こうした人々がすべて障害というわけではなく、明確に線引きすることは非常に難しいといえます。

 …人格のかたよりが大きく、つねに同じパターンでトラブルをくり返していて、本人が苦痛を感じているか、周囲が苦痛を感じている場合に、パーソナリティ障害と診断され、治療が必要となります。パーソナリティ障害の原因については、さまざまな研究がなされています。遺伝子がかかわっているという説や、幼児期の養育者(主に母親)との関係が深く関与しているという説もあります。

 パーソナリティ障害は、人格のかたより方からA群、B群、C群の3つに分けられます。ただし、いくつかのタイプを合わせもっていることがほとんどです。

・疑い深く風変わりなA群

 A群の特徴としては、他人と親しくなることに恐怖を感じるため、対人関係をつくれない傾向や、自分の不快な感情を認めず他人のせいにする傾向があります。

・気まぐれで衝動的なB群

 B群では、反社会性パーソナリティ障害、演技性パーソナリティ障害、境界性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害が含まれます。これらの障害では、攻撃的な態度や、気まぐれで激情的な態度、感情的な態度が共通してみられます。

・不安が強く臆病なC群

 C群には、回避性パーソナリティ障害、依存性パーソナリティ障害、強迫性パーソナリティ障害が含まれています。

 C群の特徴は、なんでも他人にしてもらいたいという強い受け身の姿勢です。人に嫌われたくない、傷つきたくないという不安感が強いために、自分から行動することに対して非常に臆病になります。そして、他人になにもかも頼りきったり、遠慮しすぎたりして、他人との距離がうまくとれません。

■地域精神保健福祉機構

 通称コンボ。精神障害者を抱える家族のための全国組織です。患者会、家族会と連携しながら、精神障害者が地域で暮らすしくみづくりに取り組んでいます。