平田厚「この親権・監護・面会交流の法律相談」

 本書は法律的な専門性が高い。実務上は、判例も多く紹介されており、参考になりそう。親権の本質は、どこまでがしつけでどこまでが虐待かという難しさにも触れており、少なからぬ男親が悩んでいる論点ではないだろうか。

■親権の本質

 そうすると、親は、子どもに対する監護教育の義務を負うとともに、子どもの利益について第一次的に裁量的に判断する権限を有していると考えるべきです。それは、親密圏としての家族が自律性を有することを尊重し、国家の介入は謙抑的になされるということであり、その自律性のなかで、子どもが保護され、社会化されていくことが保障されているのです。しかし 親が、そうした裁量権限を逸脱して子どもに対する監護教育義務に違反した場合、今度は、国家が介入して、子どもの尊厳を回復しなければならないことになります。児童虐待のような親の裁量権限からの逸脱行為があった場合には、第二次的に国家が子どもの福祉のために介入しなければならないのです。つまり、子に対する第一次的裁量権と第一次的責任とが親権者に属しており、親権者がその裁量権限を逸脱して責任をまっとうし得ない場合には、第二次的裁量権と管任を有する国家が裁量権限と義務を負うということになります。

 したがって、親権とは、子どもに対する監護教育義務を履行するために、 親が保有する子どもの福祉に関する裁量権限にほかなりません。つまり、親権とは、「子どもに対しては義務であるが、国家に対しては優先する裁量権限である」という意味で、権利でも義務でもあるという論理が成り立っているのだと思います。ただし、親権者がこの裁量権限を逸脱・濫用することは許されないのであって、もしそのような逸脱・濫用があった場合には、親権者の裁量権限は親権喪失や親権停止という形で覆されることになるわけです。

 そのような親の監護教育機能は、正しく機能した場合の適切な養育と逸脱・濫用した場合の悪質な虐待という両義的な現象を生むことになります。親だからといって、常に適切な養育を付与できるわけではなく、親が子どもに対する虐待に及んでしまう場合には、最も救いようのない事態を招くことになります。さらに、親がいつまでも自分の子について監護を要する子どどもとして扱い、一方的に保護しつづけることによって子どもの自己実現をも絡め取るようになってしまうと、逆に、子どもの自立を阻んでしまうことにもなりかねません。したがって、親の監護教育機能には、適切な養育―悪質な虐待という両義的な現象と、適切な自立支援―過度の自立阻害という、2つの両義的な現象を生じ得ることになります。

 前者の悪質な虐待という現象に対しては、国家が介入し、親権の逸脱・濫用にほかならないため親権を停止・剥奪するという親権停止・親権喪失宣言のプロセスを経て、子どもの尊厳を回復しなければなりません。しかし,このようプロセスがあまり機能していないことも指摘されています。民法は、一方で以上のようなプロセスを設けておきなが、他方で親権者に子どもに対する懲戒権も認めており、親権者によって「しつけ(=適切な懲戒権の行使)をして何が悪い(=裁量権限の範囲内である)。」という主張がなされる場合、そう簡単に親権者の裁量権限を覆すことができないことになってしまいます。親権者の裁量権限は、親権者の自己決定で正当化することはできないのであり、懲戒権規定は必要のない規定だろうと思います。

 また、後者の過度の自己実現阻害という現象に対しては,子どもの権利条約に照らして、子どもを独立した人格をもつ意見表明主体として明確にしていくことが望まれます。親は監護教育権能を有しているからといって、常に子どもに手を貸していては、子どもが自立していくチャンスを失ってしまいます。直接的に手を貸すのではなく、ハラハラしながらも、子どもの身近なところで見守ることが何より大切な役割なのではないでしょうか。そうするためには、いつまでも子ども扱いするのではなく、独立した人格として成長しつづける存在として子どもを捉えなおすことも必要です。2022年4月1日には、改正された民法4条が施行されて、成年年齢が20歳から18歳に引き下げられます。その法的な意味は、子どもを独立した人格として捉え直すことになるのだろうと思います。

 したがって、民法は、父母の意見が一致しない場合の調整のための手当てを予定していませんが、1947年当時とは時代状況は大きく変わりました。家庭内における父の立場は、高度経済成長を経て、母が専業主婦として子どもに密着してきたために、むしろ弱体化しているように見えます。もしそうだとするならば、子どもの重要な問題について、父母の意見がまとまらないような場合には、家庭裁判所が審判によって調整することも認められるべきであり、そうでないとしても家庭裁判所における家事調停によって調整することが必要な状況になったと考えるべきでしょう。

 現在の制度では、父母が離婚する場合には、協議離婚であれ、裁判離婚であれ、父母の一方だけが未成年の子どもの親権者となるものとされています。諸外国では、離婚後も共同親権が継続する制度に改正されており、日本でも改正すべきとの議論があります。ただし、離婚後の共同親権も認められるべきだろうと思いますが、それを原則とするには父母双方の親の責任が明確にされ、親責任を尽くさない場合には直ちに親権を剝奪するなどの厳格な条件整備が必要なのではないかと思います。

 …選択的共同親権制度とは、離婚の際に離婚後は単独親権にするのか共同親権にするのかを選択できるとするもので、欧米諸国では選択的共同親権制度が既に採用されている国もあります。

 親権者が単独親権者とされている場合には、実の親であっても、どちらか一方でなければ親権者にはなれません。したがって、単独親権者を決定するにあたっては、その決定基準が何なのかが問題となります。民法820条は、親権が子どもの利益のためにあると定め、同法819条6項は、子どもの利益のために必要があるときには親権者の変更が可能とされていますから、親権者の抽象的な決定基準は、子どもの利益に照らして、父母のどちらがより適格者かということになります。

 子どもの利益に照らして、父母のどちらがより適格者かということを判断するにあたっては、父母側の事情として、それぞれの監護能力の程度、監護への意欲、精神的・経済的家庭環境(資産、収入、職業、住居、生活態度など)、 教育環境、子どもに対する愛情、従来の監護状況、親族等の援助の可能性などが挙げられています。また、子どもの側の事情として、子どもの年齢、性別、きょうだい関係、心身の発達状況、従来の環境への適応状況、環境の変化への適応性、子どもの意思あるいは意向などが挙げられています。

 もっとも、何が子どもの利益にとって重要なのかという具体的な基準になると、様々な意見があります。上記のように、子どもの利益に関連するあらゆる要素を比較衡量して、子どもの利益の観点から適格性を判断するのですが、これまでに議論されてきたいくつかの原則や基準について検討してみましょう。 ここでは、「母性優先の原則」「継続性の原則」「子どもの意思の尊重」「きょうだい不分離の原則」「フレンドリー・ペアレント・ルール」などについて考えてみます。

 親権者としての適格性に問題があるとして、離婚の際に指定した親権者の変更を求める紛争は非常に多いところです。したがって、親権者変更を認容した審判例も、親権者変更を却下した審判例も、それぞれ多数存在しています。いずれの審判例においても、親権者を変更することが子どもの利益のために必要かどうかを問題としているのは、条文上当然ですが、特に重視されてきたのが、①双方の監護能力の比較(どちらのほうがよりこの利益に適するか)、②現在の生活の安定性(現在の生活を変更することがより子の利益に適するか)、③子自身の意志・意向(子自身がどちらの下で監護養育を望んでいるか)などの点です。


男はつらいよ 令和

男はどこまで我慢するべきなのか 妻の言動は虐待なのか性格の問題なのか線引きの難しさ そしてそれゆえに離婚の成立要件にならない現状 これらの問題に正面から取り組む

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